人を隔てるものは文化 文化を隔てるものは土地

つい最近まで韓国人をやっていたワタシですが,ときどき「オリンピックではどこを応援するの」と聞かれた。当然日本なのである。韓国の選手はひとりも知らないから。人間のふるまいは文化で異なる。日本文化に触れて育てば日本的ふるまいをするようになる。日本文化の人は日本選手を応援する。日本人が日本選手を応援するのではなくてね。何の文化にもさらさずに人間を育てることができたら,その人間のふるまいはどうなるだろうか。逆に,もし自分が,成長の途中で韓国文化で育てられたら,どんな人間になったかなと考えることがある。

金の切れ目は縁の切れ目ではなく,土地の切れ目は文化の切れ目であり,でかい河があったり高い山があったり海があれば,そこで文化の連続性は途切れる。国と国,関東と関西,東京と埼玉,足立区と世田谷区,地理的要因による文化の相違は,フラクタル的に繰り返される。

インターネットが広く利用されるようになり,地理的要因が消滅しつつある現在,文化の差はなくなったか? 異なる文化が平坦化されたか? 文化的摩擦は減ったか? あまりそうはなっていないようだ。地理的要因はトリガーにすぎず,人間は周囲との差異化を進めるようにできているのかもしれない。

なんてまじめなエントリ。